言葉と脳と心 ー失語症とは何か
まずご紹介したいのは、こちらの本です。
日本を代表する失語症研究者であり医師でもある筆者が、自身の経験も踏まえて、非常に深い考察をしています。特に失語症の「タイプ」についてのわかりやすい説明をしています。
とは言っても、失語症の入門書にくらべると、この本は難しく感じるかも知れません。それはこの本がとても深いレベルのことを書いているので当然なのです。ここまで深いことを書いていながら、このわかりやすさはむしろ驚異的と考えるべきでしょう。
この本が深いと感じるのは、単なるタイプ別の症状記載に終わるのではなく、それぞれのメカニズムについて考察されているからです。
失語症のことを、表面的でなく、深く理解したいという方には、是非読んで欲しい一冊です。
本書では、4つのタイプのことを解説しています。ここからは、それぞれについて、私がポイントだと思うことをかいつまんでいきたいと思います。
・健忘失語
健忘失語とは、ものの名前が思い浮かべられなくなるタイプの失語症です。これは、他の失語症タイプでもよく見られる症状ですが、健忘失語はその症状だけが特に目立つ失語症のタイプです。
筆者は、一人の健忘失語の症例を紹介しています。あるときその方に、机はどれかと聞いたところ、悩んだ挙句、病室の机を指差し、「これを机と呼んでいいのですか?」と聞いてきたそうです。自分がよく使っている机と違うので、机と呼んでいいのかわからないというのです。
このような事象を、ゴールドシュタインは、「抽象的態度の喪失」と呼んでいます。
先ほどの例で言えば、机は、色や材質や大きさなどがそれぞれ違います。しかし私たちは、そのような細かな違いに目を向けるのではなく、共通の用途や機能から、机というものがどんなものかをわかっていて、細部がどうであれ机と呼ぶことができます。これが、抽象的態度というものです。
言語は、事物をある特徴なり用途なりによってカテゴリー化し名前をつけたものであるととらえることができますが、失語症の方がそのような言語の側面である抽象的態度に障害が出るということは、注目すべき点であると思いました。
ブローカ失語は、スムーズにしゃべれなくなることが最大の特徴である失語症です。音の組み立てと語の組み立てに障害が出てきます。
筆者はそのメカニズムを、言語に内在する音楽的側面(=言語プロソディ)にあるのではないかとしています。
すなわち、発話過程では、言葉のかたまり(音韻塊心像)が具体的な言語音への連なりへと分節されていきます。この展開を可能にするのが言語に固有の音楽的流れであるプロソディです。
プロソディがセンテンスの外枠を作り、個別の言語音が内容を充填します。ブローカ失語ではこのプロソディが生成されなくなるため、心の中の音韻塊イメージを言語音系列へ展開させることができなくなり、言葉が口から出なくなるのではないかということでした。
言語の音楽的側面という視点がなるほどなと思いました。
ウェルニッケ失語の特徴は、聞いた言葉がうまく理解できなくなることと同時に、発話面でも、意味の取れない空虚な言葉が流暢に出てくることにあります。
聞いた言葉が理解できなくなるメカニズムとして、その単語の記憶(単語の聴覚性記憶心像)が壊れてしまうというものが有力です。
一方意味のない言葉が流れ出てしまう症状について筆者は、「言葉の乗り物が自走してしまう」と説明しています。ここでいう「言葉の乗り物」とは、ブローカ失語の責任病巣であるブローカ領域であると述べています。
ブローカ失語では、言語の音楽的側面であるプロソディが障害されるという仮説があげられましたが、ウェルニッケ失語では、制御者であるウェルニッケ領域の抑制がはずれることで、ブローカ領域が、勝手に、手持ちの形式や語句を使って「自走する」というのです。
自分の発話に気づきのないウェルニッケ失語の患者さんを、いつも不思議に思っていたのですが、制御を失って「自走する」と説明されると、理解できるような気がしてきます。
・伝導失語
伝導失語は、言い間違いを特徴とする失語症です。言い間違いは、自分が言おうとしている言葉だけでなく、相手の言葉をそのまま復唱しようとするときにも表れます。
メカニズムとして、この失語症では、目標語の輪郭(音韻塊心像)は思い出せるけれども、そこから正しい音韻心像群を分離し、かつそれらを次々と正しい順番に並べていく、という働きがうまくいかないことがその核心だと筆者は考えています。
以上、4つのタイプの説明をご紹介させていただきました。本には様々な症例をまじえて、わかりやすく解説されているので、手にとってみて下さいね。
失語症をタイプに分けることに否定的な方もいます。確かに症状は人それぞれでタイプに分けることには意味がないという考えはある程度わかります。
しかしタイプ分類は、その患者さんの症状の全体像を見、メカニズムを推察し、訓練プログラムなどの対応を考える上で有用ではないかと、私は考えています。