失語症リハビリの効果にエビデンス
リハビリの効果を客観的に示すのは難しかったのか、これまで言語聴覚士が行う失語症リハビリのエビデンス(科学的根拠)を示す論文は見かけませんでした。
ところが、今年2017年3月にLancet誌に出ていたのです。
「脳卒中後失語症患者さんへの医療保険でカバー可能な範囲の言語療法の無作為化・非盲検・評価は盲検 対照臨床試験」
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/m/pubmed/28256356/
内容のは以下の通り。
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2群とも週10時間の個別言語リハビリを最低3週間、研究者により訓練された言語聴覚士が行なった。
コントロール群は、リハビリ開始を3週間遅らせ、時間的ズレによる差異を設定している。
結果は、
訓練直後で言語コミュニケーションが著しく改善した。まだ訓練を受けていない群では変化がなかった。
6ヶ月後両群で同様の改善効果があった。
この結果は、脳卒中の種類、失語症のタイプ、重症度の違いとは関係がなかった。
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というものです。
私はエビデンスがすべてとは思っていないのですが、やはりデータで示されていると、安心するというのはあります。
ただ、実際の臨床で生かすためには、タイプ毎にどうだったかなど、詳細な分析が欲しいとも思いました。
さらなる研究に期待したいと思います。
小鳥の歌からヒトの言葉へ
失語症のリハビリをしていると、その言葉の意味はわかっているのに、言われた通りに繰り返す復唱課題が困難な方に出会います。このような患者さんを見ていると、音が与えられていて、その通りに言うということにどれだけ複雑なプロセスが要求されるかということがわかります。
実際、この言われた音を繰り返すということは、ヒトに最も近いと言われているチンパンジーでもできません。
実は、チンパンジーが人のように言葉を発することができないのは、知能とは別の制約によるものが大きいです。
直立歩行をしているヒトと四つ足のチンパンジーではのどの構造が違うので、ヒトのように声をコントロールして、様々な音を出し分けることができないからというのがその理由のようです。
その一方で、ヒトとは進化的に遠いにも関わらず、聞いた音をそのまま発することができる種がいます。例えばオウムや九官鳥などです。
子どもの頃、叔母の家でオウムを飼っていて、ときどき遊びに行くと、「オハヨ」とか「アリガト」を言ってくれて、興奮した覚えがあります。
このように鳥類の一部は、ヒトとまったく同じではないのですが、いろいろな音を出せるような構造を持っています。
それでは、身体的構造だけで、聞いた言葉の音を言えるようにはなるでしょうか?もちろん、身体的構造というハードウェアは、聞いた音を同じように発するための必要条件ではありますが、十分条件ではありません。聞いた音を同じように発するには、まず聞いた音を認識し、その音と同じような音になるよう、認識した音を運動に変換するソフトウェアも必要なのです。
このようなインプットをアウトプットに変換する能力を、三歩あるくと忘れるなどと言われる鳥類が有しているということは驚くべきことではないでしょうか。鳥のことを調べれば、ヒトの言語の進化も見えてくるかもしれないと思えてきます。
今回ご紹介する本「小鳥の歌からヒトの言葉へ」(岩波科学ライブラリー)の著者である岡ノ谷一夫氏は、小鳥の歌を研究し、そこからヒトの言語の進化のヒントを導き出そうという大胆な研究をされています。
筆者は、鳥の歌とヒトの言葉の共通点として以下を挙げています。
・発声の身体的仕組みが似ている
・どちらも大脳の左半球が優位にはたらく
・獲得の時期は生後いつ頃までという臨界期がある
岡ノ谷氏は、ジュウシマツの歌の研究から「ヒト言語の文法の性淘汰起源説」を提唱しています。
非常にユニークで、おもしろく、読んでいて引き込まれます。
言語の進化に興味のある方、鳥が好きな方も、ぜひ読んでみてください。
私が読んだのはこちらですが、
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4000065920/ref=mp_s_a_1_6?__mk_ja_JP=カタカナ&qid=1504327768&sr=8-6&pi=AC_SX236_SY340_QL65&keywords=岡ノ谷一夫&dpPl=1&dpID=41N2KTXN95L&ref=plSrch
新版でこちらが出ています。
さえずり言語起源論--新版 小鳥の歌からヒトの言葉へ
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4007304181/ref=mp_s_a_1_5?__mk_ja_JP=カタカナ&qid=1504331053&sr=8-5&pi=AC_SX236_SY340_QL65&keywords=岡ノ谷一夫&dpPl=1&dpID=41o1PtkPMuL&ref=plSrch
口の動きが語想起の手がかりに
失語症のリハビリでは、絵を見せてその絵に描かれた物の名前を言ってもらう課題をやってもらうことがよくあります。このような課題を「呼称」と言います。
呼称課題でなかなか正解が言えないときに、言語聴覚士は、すぐに正解を教えるわけではなく、ヒントを出していきます。
すぐに正解を言ってしまうと、言葉を思い出す練習にならなくなってしまうからです。
このようなときによく使うヒントに語頭音というものがあります。リンゴだったら「リ」、ネコだったら「ネ」と、その言葉の最初の音を言ってあげるのです。
また、語頭音だとヒントとして強力すぎるので、語尾音を提示するという手法もあるようです。リンゴだったら、「んんご」と、音の数もわかるように言ってあげます。
このようにヒントの出し方を変えるのは、その患者さんが「がんばればできる」というぎりぎりの難易度にすることが、リハビリとしての効果を上げるために重要だからです。
それ以外に、リンゴだったら「果物」、ネコだったら「動物」など、意味的な手がかりを出しては、と思う方もいらっしゃるかも知れません。
まったく使わないことはないのですが、失語症の方は、絵に描かれたものが何かわからなくなってしまっているわけではないので、意味ヒントはあまり有効とは言えず語頭音などの音のヒントに較べると使う頻度は低いようです。
だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、今日は、このような呼称で使うヒントのうち、音や意味以外でヒントになりそうなものについての、英語で書かれた論文をご紹介したいと思います。
声を出さない視覚運動手がかりのブローカ失語の語想起における効果 -パイロットスタディ
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/m/pubmed/28813817/
(内容)
4人のブローカ失語患者について、声を出さずに口の動きだけを見せてヒントとした群と、そのようなヒントを与えなかった群を8週間のリハビリ後に比較。その結果口の動きを見せた群の方が語想起のレベルが上がった。
というものです。
言語音の知覚と発音は強く結びついているとする最近の説を支持する結果となっています。
パイロットスタディということで症例数は少ないので、この結果だけをただちに鵜呑みにはできませんが、口の動きをヒントの難易度を調整する一つのアイテムとして、使ってみてもいいかも知れません。
言葉と脳と心 ー失語症とは何か
まずご紹介したいのは、こちらの本です。
日本を代表する失語症研究者であり医師でもある筆者が、自身の経験も踏まえて、非常に深い考察をしています。特に失語症の「タイプ」についてのわかりやすい説明をしています。
とは言っても、失語症の入門書にくらべると、この本は難しく感じるかも知れません。それはこの本がとても深いレベルのことを書いているので当然なのです。ここまで深いことを書いていながら、このわかりやすさはむしろ驚異的と考えるべきでしょう。
この本が深いと感じるのは、単なるタイプ別の症状記載に終わるのではなく、それぞれのメカニズムについて考察されているからです。
失語症のことを、表面的でなく、深く理解したいという方には、是非読んで欲しい一冊です。
本書では、4つのタイプのことを解説しています。ここからは、それぞれについて、私がポイントだと思うことをかいつまんでいきたいと思います。
・健忘失語
健忘失語とは、ものの名前が思い浮かべられなくなるタイプの失語症です。これは、他の失語症タイプでもよく見られる症状ですが、健忘失語はその症状だけが特に目立つ失語症のタイプです。
筆者は、一人の健忘失語の症例を紹介しています。あるときその方に、机はどれかと聞いたところ、悩んだ挙句、病室の机を指差し、「これを机と呼んでいいのですか?」と聞いてきたそうです。自分がよく使っている机と違うので、机と呼んでいいのかわからないというのです。
このような事象を、ゴールドシュタインは、「抽象的態度の喪失」と呼んでいます。
先ほどの例で言えば、机は、色や材質や大きさなどがそれぞれ違います。しかし私たちは、そのような細かな違いに目を向けるのではなく、共通の用途や機能から、机というものがどんなものかをわかっていて、細部がどうであれ机と呼ぶことができます。これが、抽象的態度というものです。
言語は、事物をある特徴なり用途なりによってカテゴリー化し名前をつけたものであるととらえることができますが、失語症の方がそのような言語の側面である抽象的態度に障害が出るということは、注目すべき点であると思いました。
ブローカ失語は、スムーズにしゃべれなくなることが最大の特徴である失語症です。音の組み立てと語の組み立てに障害が出てきます。
筆者はそのメカニズムを、言語に内在する音楽的側面(=言語プロソディ)にあるのではないかとしています。
すなわち、発話過程では、言葉のかたまり(音韻塊心像)が具体的な言語音への連なりへと分節されていきます。この展開を可能にするのが言語に固有の音楽的流れであるプロソディです。
プロソディがセンテンスの外枠を作り、個別の言語音が内容を充填します。ブローカ失語ではこのプロソディが生成されなくなるため、心の中の音韻塊イメージを言語音系列へ展開させることができなくなり、言葉が口から出なくなるのではないかということでした。
言語の音楽的側面という視点がなるほどなと思いました。
ウェルニッケ失語の特徴は、聞いた言葉がうまく理解できなくなることと同時に、発話面でも、意味の取れない空虚な言葉が流暢に出てくることにあります。
聞いた言葉が理解できなくなるメカニズムとして、その単語の記憶(単語の聴覚性記憶心像)が壊れてしまうというものが有力です。
一方意味のない言葉が流れ出てしまう症状について筆者は、「言葉の乗り物が自走してしまう」と説明しています。ここでいう「言葉の乗り物」とは、ブローカ失語の責任病巣であるブローカ領域であると述べています。
ブローカ失語では、言語の音楽的側面であるプロソディが障害されるという仮説があげられましたが、ウェルニッケ失語では、制御者であるウェルニッケ領域の抑制がはずれることで、ブローカ領域が、勝手に、手持ちの形式や語句を使って「自走する」というのです。
自分の発話に気づきのないウェルニッケ失語の患者さんを、いつも不思議に思っていたのですが、制御を失って「自走する」と説明されると、理解できるような気がしてきます。
・伝導失語
伝導失語は、言い間違いを特徴とする失語症です。言い間違いは、自分が言おうとしている言葉だけでなく、相手の言葉をそのまま復唱しようとするときにも表れます。
メカニズムとして、この失語症では、目標語の輪郭(音韻塊心像)は思い出せるけれども、そこから正しい音韻心像群を分離し、かつそれらを次々と正しい順番に並べていく、という働きがうまくいかないことがその核心だと筆者は考えています。
以上、4つのタイプの説明をご紹介させていただきました。本には様々な症例をまじえて、わかりやすく解説されているので、手にとってみて下さいね。
失語症をタイプに分けることに否定的な方もいます。確かに症状は人それぞれでタイプに分けることには意味がないという考えはある程度わかります。
しかしタイプ分類は、その患者さんの症状の全体像を見、メカニズムを推察し、訓練プログラムなどの対応を考える上で有用ではないかと、私は考えています。
はじめに
言語聴覚士として失語症の方々のリハビリにかかわっていくと、一口に失語症と言っても、その症状は非常に多彩であることがわかります。
そのような多彩な症状を見ていると、根源的な疑問が湧いてきます。
私たちがたった一言のことばを発するとき、また理解するとき、いったい何が脳の中で起こっているのでしょうか。そして私たちにとって言語とは何なのでしょうか。
そのような問いへの答えは、なかなか出ないものなのかも知れません。しかし、先人たちが書きしるしてくれた、本や論文を読むことによって、少しでもその答えに少しでも近づきたいと考えています。
そのような私のささやかな探索活動を、失語症に関わる方々、言語や脳に興味を持つ方と共有できればと思っています。
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